zepeのブログ

いつも株を買っては損を抱え込む長期低迷投資家

広島の80万人PCR検査・無症状感染者治療方針は正しい。本来行うべき本質的対策。全国で実施すればコロナは終熄し胸を張ってオリンピック開催へ。無為無策の菅首相、もし実施すればその手腕を世界が見直すだろう。が、期待はたぶん無理。

コロナの感染爆発・医療崩壊が止まらない。
パンデミック感染対策で最も基本的で重要な原則は、できるだけ初動段階で手を打つこと。スピード・時間が勝負である。


菅首相はコロナ感染対策をやりたがらない。延ばしに延ばしてついに感染爆発・医療崩壊に。それでも国会で、コロナ対策と経済を両立するように努力してきたと言うばかり。感染制圧の将来に向けなんの見通しも対策案も無い。平然としている。内政・外交に見るべきものがあり、決して菅総理の仕事に否定的なものではないが、医学・学術に対する無理解、無為無策、無能さにあきれるというより、現在のこの状況の日本を託せるのか疑問に思うばかりである。


GoToキャンペーン中止・緊急事態宣言は(これも菅首相は全国規模ではやりたがらず、一部地方のみだが)一定の効果はもたらすだろうが、効果は限定的。終了すれば再び感染爆発が起きるだろう。
 接触の機会を減らすという言わば間接的、疫学的手法で、一時的にこれ以上の感染者の増加は阻止するが、病因そのものを叩く直接的手法ではない。
 感染を制圧するにはこの感染源そのものを無くする直接的対策が必要である。これが最も効果的でそして最終的(本来は初動段階の最初期に行うべき)対処方法である。


いま医療機関は皆重症者治療に追われ、やむを得ず彼らばかりに対処しているが、本来彼らは感染の被害者であって、彼ら自身は感染を広める感染源ではない。


一体、どこが、だれが、感染源か。
 第一波の原因となった夜の街での接待を伴う飲食。高熱で咳き込む人間が接待していたであろうか。否、そうではない。いつもの通り、何事も無く客を楽しませたはずである。
 カラオケで高熱を発し咳込む人間が大声で歌っていたであろうか。否、だれもが楽しく歌っていたはずである。
 会食で、宴会で、顔色が悪く咳込む人間が参加していたであろうか。否、皆酒を飲み、元気よく大声で歌いしゃべりまくっていたのではなかろうか。
 高校や大学の体育系部活で皆元気に練習していた。皆元気であったはずである。
それぞれ誰もが新型コロナウイルスに感染することを想起させるようなことは無かったはずである。それにもかかわらず、クラスターは発生した。


 何故か。無自覚・無症状感染者がいて、誰も気付かぬうちに、感染を広めた、そしてしばらくは潜伏したままであったが、やがて体力が落ちている感染弱者や抵抗力の小さい高齢者が最初に発症して顕在化したのである。
 GoToキャンペーンでは、本人も他人も認識しない無自覚・無症状感染者とともに、長時間行動を共にし盛り上がって飲み食い談笑し、そして彼らの仲間内に、また旅行先の人々に伝染をばらまいたのである。
 旭川で発生した全国最大規模のクラスター発生は、病院関係者が全く予期していない無自覚・無症状者から感染が拡がった旨の話をしていたが、やはりである。


これらの感染プロセスの中で、感染を押さえ込み感染爆発を防ぐには、できるだけ初動段階で押さえ込むのが効率的であり、容易である。
 感染プロセス最終段階の感染弱者、有持病者、高齢者が重症に陥ると手が付けられない。一人の患者に何人もの医療従事者がつきっきりになり、他の業務を無視して優先せざるを得ない。こうなると医療崩壊である。


即ち、感染増殖・伝播の原因は、無自覚・無症状感染者、自宅待機・療養の中軽症患者の放置にあり、これが感染爆発の元凶である。彼らは社会に市中にそのまま放置され、無意識のうちに市中で感染を拡げている。彼らを隔離・治療しなければ感染はいつまでも拡大するだろう。
 日本はこの感染者層(感染源)を放置し、目に見える重症者(被感染者)ばかりを治療する方針だから、市中で感染が増幅し感染爆発に至るわけだ。
 重症者の治療に追われるだけの医療対応は、感染元・感染源の火消しには寄与しない。半分無駄なエネルギーの使い方である。
 今でもTVに出て来る医師あるいは大学教授の中には、若い人は無症状または軽症だから自宅待機・療養でよいなどと言うコメンテータ-がいる。これが曲者(くせもの)である。彼らこそ最大の感染源なのである。


80万人PCR検査、無自覚・無症状感染者の検出・隔離・治療を行う広島方式は、感染源の元凶を叩くのだから確実に感染を減少させる最も本質的な対応法である。本来はこれを初動段階で早期に実施すべきであったのだ。
 日本でやっと出て来た本質的対策。中国、韓国、台湾の全体主義国家で感染をコントロールできているのは、過去にパンデミックを経験したこともあり、この初動段階で感染拡大の芽を徹底的に摘み取るということを実践しているからだ。しかし日本では初めての試みであり画期的である。


今(令和3年1月)必要なのはこれを全国で至急行うことである。
 全国で行うのは誰しも規模が莫大で実施不可能と言うだろう。なぜそうなったか、それは初動段階で手を打たなかったからである。
 菅総理が対策を延ばしに延ばして感染を拡大させてしまったからである。そして感染爆発の段階になってから遅ればせで始めるから、規模が大きくなり過ぎて、まず実行不可能ということになるのである。初動段階で手を打てばはるかに容易で効果も高かっただろう。
 しかし今はこれを行うしかない。これを行えばオリンピック開催の実現性は目に見えて来る。


広島県の湯崎知事は新型コロナウイルス感染と拡大のメカニズムをよく理解し、対策の実行法もよく把握している。また菅首相と違って感染への対応にきわめて前向きの姿勢で臨んでいる。全国でこの方式を実施する際、実施対策本部の本部長にはこの人になって頂きたいと思うくらいである。


日本ではこうした人事はほとんどあり得ないが、米国ならいくらでもある。大統領の交代の時には政権人事はガラッとすべて変わる。大統領候補はふだんからスタッフとブレインを抱えて準備しておく。だから地方から中央に抜擢ということはいくらでもあり得る。


太平洋戦争で日本が米国に敗れた敗因はいくつもあるが、その一つは人事の硬直化である。
 日本では戦争の局面に関わらず、必要とされる能力によらず、昇進は官僚人事システム、したがって大將・将軍はその能力よりも、陸軍士官学校、海軍兵学校の卒業年次、卒業時の成績順で大方その後の昇進が決まってしまう。平時ならいざしらず、いざ緊急事態という時に、その能力で採用されるのではない。だから能力のあるものを抜擢ということはあり得ない。そのため必ずしもすぐれた人材が指揮官になるとは限らなかった。
 一方、米国では戦時のような非常時には能力あるものをどしどし抜擢し、ハルゼー提督のように太平洋戦争の重要な海戦で日本の海軍を次々と破った。


日本でも下級武士から幕末の争乱期をくぐり抜け明治維新を実現した元勲達が政治の中枢で活躍していた明治時代、例えば日露戦争直前に既に退役していた東郷平八郎を呼び戻して帝国連合艦隊司令長官に据え、日本海海戦でのバルチック艦隊全滅により戦争終結・勝利に導いた。その頃は実力で生き抜いてきた世代が政治をつかさどり、能力ある者の抜擢の重要性を知っていたから、非常時に柔軟な人事を行うことができたのである。


現在(令和3年1月)必要なことは、広島で行おうとしている無自覚・無症状~中軽症感染者の検知、隔離・治療を、全国規模で、至急、行うことである。困難は承知であるが、それを乗り越えて実施することは、日本にとって、世界にとって、人類にとって、明らかに意義があり価値がある。コロナを終熄させ、オリンピック開催が可能になり、日本は胸を張って世界から選手・観客を迎え入れることができるようになるだろう。

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