zepeのブログ

いつも株を買っては損を抱え込む長期低迷投資家

奇妙な楽観論。コロナはインフルエンザ並みか?

*)様々な楽観論
 コロナに対して様々な楽観論が現れている。
(a)もうすぐピークアウトだ。
(b)コロナはオミクロン株で終わりだ。
(c)インフルエンザ並みになる。
(d)日本人はDNAの相性がコロナに対して強い。
(e)日本では集団免疫が形成された。


本当にそうだろうか。


*)もうすぐピークアウトだ-(a)
 感染が先行した沖縄、山口では新規感染者数が低下している。海外の例を見ても南アフリカ、英国、米国等レベルは異なるが、ピークは過ぎ減少している。実効再生産数が1を切り、新規感染は減少に向かいつつある。
などから、2月上旬にはピークアウトすると予想された。減少の仕方によって急激するマッターホルン型、高原状態が長い富士山型などの話題が出ている。
 これは公衆衛生学・疫学的手法の専門分野である。専門家が言うのだから、かなり確度が高いだろう。


そうかもしれない。デルタ株の時も急激に低下した。しかしそうでないかもしれない。政府が分科会の方針に従って自宅療養に患者を放り込む施策を続ける限り、家庭内感染が続き世代間感染伝播は収まらず、長引くかもしれない。
 蔓延防止措置事態になり、尾身氏が再度登場するようになって、これは長引くなと思った。なぜならその施策は感染伝播プロセスの最下流でただ待つだけだからだ。基本的には他力本願であり、攻めの手段を持たない。
 今政府が進めている攻めの手法は3回目のワクチン接種のみである。ワクチンは感染源は叩かず防御壁を築くようなものだから、遅効性である。1日100万件接種したとして、総人口1億人を終えるのに100日間かかる。
 これに対し、感染源を直接叩く攻めの手法では、例えば感染者を1日100万人隔離・入院・治療すれば、1日で感染は終熄するだろう。即効性が最も高い。


取り違えてはならないのは、ピークアウトを予想し、その予想通りになったからと言って、彼らの取ったコロナ対策が正しかったということにはならないことである。このピークの高さはなんということだろう。予想することとコロナ対策が妥当かどうかは別物である。


*)コロナはオミクロン株で終わりだ-(b)
 コロナはオミクロン株でもう終わりだ。解放されるのはもうすぐ、最終的局面にあるという主張。


*)コロナは人類の進化途上で初めて遭遇する病原体
 コロナは人類の進化途上で初めて遭遇する病原体である。生まれ付きの、先天的な防御機構・免疫は持っていない。後天的に、免疫を獲得するよりほか無い。


*)コロナは永久に無くならない。今後も緊急事態が起き、マスクは必須である。
 だから基本的には、コロナは無くならない。永久に存在する。人類は永久にお付き合いしなければならない(注1)。変異種は過去のタイプより必ずよりやっかいなものになる。今後も緊急事態が起き、マスクは必須である。
 新しく生まれてくる子供達は免疫を持っていない。成長する過程のどこかで必ずワクチンを接種しなければならない。ワクチン開発は変異種が出るたびに行わねばならない。接種もその都度行わねばならない。


*)新たに現れる変異種はより悪性度が高い
 今後起きる新たな変異種はより厄介なものになる。なぜならウィルスは一定の確率で変異を起こすが、人類はコロナに対して抵抗力が強くなってきている。数度のコロナ禍の洗礼を受けそれ相当の免疫を獲得し、また抗ウィルス薬やワクチンの開発も進んでいる。
 だから変異種のほとんどは感染を拡大できずに終わる。新たに起きる感染は人類の持つ抵抗力を上回る感染力をもつ変異種ということになるから、より悪性度の高いものになる訳である。


 ただ頻度は減る方向にあるだろう。変異確率が一定とすれば、変異の頻度総数は母集団が大きいほど、即ち、感染爆発が起き多数の患者がいるほど多くなる。中国、ブラジル、英国、インド、南アフリカで変異種が現れたのはそうした理由である。米国も相当多く、最近は欧州も結構多いと思うのだが、特に新たな変異種が出現していないのはやや不思議な感じもする。
 人類の側の抵抗力の増加とともに、こうした感染の大爆発の頻度が減少してくれば、ウィルスの変異総数も減り、悪性度の高いの変異種の出現するチャンスも減ってくることになる。


*)コロナはインフルエンザ並みか?-(c)
 現在法律的な扱いの議論がある-病気の分類・クラス分けのことはわからない。
病気そのものについて-コロナはインフルエンザ並み、同程度の悪性度の病気かどうか?


*)劇的な公衆衛生の効果-インフルエンザはほぼ皆無に
 コロナが猛威を奮っているこの2年間ほど、驚くべきことにインフルエンザや風邪はほとんど流行していない。尾身氏ほか疫学専門家が敷いた公衆衛生学的手法が劇的に効いた。
 以前、SARS(重症急性呼吸器症候群)であったか、MERS(中東呼吸器症候群)であったか、アジアや中東で大流行した。次は日本に上陸か?ということで、公衆衛生の励行が呼びかけられ、今もなされている各店舗や公共施設の入口にアルコール消毒が設置され、日本ではほとんど流行することなく、なんとなく終わってしまった。この時は今ほどマスク着用は励行されていなかったように思うが、それにもかかわらず、強力な公衆衛生の威力である。
 こうしたワクチンや治療薬などの医学内科学的処方とは全く別個の効力として他に、光(紫外線)、熱(加熱)がある。
これらを利用し現在なされている公衆衛生学的対策:
 マスク着用(+ソーシャルディスタンス)、手洗い・うがい、不特定多数が利用する公共施設入口でのアルコール消毒、強制換気、対面での飛沫防止アクリルパネル等、
は確かに絶大な効果があるのである。


*)コロナはインフルエンザとほぼ同等か?
 一方、コロナはどうか。インフルエンザウィルスもコロナウィルスも同じ公衆衛生学的条件下にある。しかしインフルエンザはほぼ絶無であるが、コロナは感染大爆発である。コロナはインフルエンザに比べ、感染力・悪性度ははるかに高いということになる。


この違いが起きた理由として
(1)コロナはインフルエンザに比べ、感染力・悪性度ははるかに高い
という以外には、


(2)感染径路・伝染様式の違いで起きた。一方は公衆衛生学的手法が効きやすいが、他方は効かないなど。
 インフルエンザでは飛沫感染が最も多く、他にドアノブなど物体に接触した手で口を拭う等からの接触感染もある。空気感染はほぼ無い。コロナでもこれは同じである。ただ印象的には飛沫感染の効果が圧倒的に強いように思う。


(3)コロナに先に被感染媒体である人体を乗っ取られ、インフルエンザが入り込む余地が無くなった。
 コロナ当初の頃、冬期に近づく頃インフルエンザと二重感染して重症化するといけないからと、インフルエンザのワクチン接種が奨励された。しかし二重感染の例はほとんど聞かなかった。


コロナでも最初は中国武漢由来のアルファ株が流行し、次にインドで発生した変異種デルタ株に置き換わり、その後南アフリカで起きたオミクロン株に置き換わったという言い方がされた。
 デルタ株が現れた時はまだアルファ株の感染が盛んな時であったが、二重感染ということは無いのだろうか。やがて重症化度の高いデルタ株一色になった。
 こうして見ると複数の病原体が競合した場合、人体の持つ抵抗力がより弱く、悪性度の高い病原体が優先して人体は罹患するようだ。


このようにより悪性度の高いコロナに人体を乗っ取られたために、インフルエンザが入り込む余地が無くなった。


この仮説は正しいか?。正しいように思える。
 それではコロナが無い時期にインフルエンザは流行ったか?。見てみると、
昨年秋、岸田政権が発足して以来、年末までの間、コロナ感染者はほとんど出ない期間が続いた。人体はコロナに乗っ取られていない。
 この期間にインフルエンザは流行したか?-していない。とすると、乗っ取り説は成り立たないことになる。


*)強力な公衆衛生励行で、インフルエンザは皆無となったが、コロナは燃え盛る。
 結局、上記(1)の理由:公衆衛生学的手法はきわめて効果的であり、インフルエンザには非常に有効だが、コロナでは不十分というほどはるかに感染力が強いということになる。


*)現在のオミクロン株を前提にものを言っている。
 オミクロン株患者を診た医師は無症状~軽症感染者が多く、その症状はインフルエンザ程度だという印象を持った。そうした経験からコロナはインフルエンザと同等な取扱いでよいのではないかということになるのだろう。


*)インフルエンザでも毎年変異は起きるが、病態はほぼ既知の概念の範囲内
 インフルエンザでも毎年流行の型が変わる。しかしそれでも病気としての大きな特徴はそう変わらない。病態はほぼ既知の概念の枠内である。
 人類は既に何世代にもわたって洗礼を受けて来ている。だから現在の人間は相当程度抵抗力を持っているに違いない。


*)コロナは本質的に異なる。今後も制御不能な変異種が出現する。
 一方、コロナは人類が進化史上現れて初めて遭遇する病原体である。コロナに対する防御機構・免疫などは備わっていない。症状的には類似していてもコロナは本質的にインフルエンザとは異なる。これからも特性の違った変異種が現れるだろう。
 その頻度は徐々に減少する。これは人類がだんだん抵抗力を身に付け、医学的対処法も進歩するからだ。しかし次に感染が起きるのはそれらを乗り越えて感染を起こす変異種になるから、より悪性のものになる。その予測は今のところつかない。


*)欧州はコロナとの共生に舵を取る
 欧州では多くの国々でコロナとの共生に舵を取り始めている。新規感染者数がピークアウトし、病床も余裕がある、国民は経済活動の再開に飢えている。
 もはやコロナ対策一辺倒にはならない。その他の国も追随する趨勢にある。そうした決定をする各国政府の発表を見ていると、もうコロナは終わったという雰囲気である。


*)自分は慎重論
 こうした動きは正しいのだろうか。世の中の大勢はそうした流れに向かいつつあるようだが、筆者にはそうした楽観論にはついていけない気がする。
 これらの動きは、あくまで現在のオミクロン株を前提とした話である。当座はそれが正しいかもしれないが、まだまだ未知の変異種が現れる可能性はある。


*)ファウチ所長
 こうした動きについてどう思うかと訊かれた米国国立アレルギー感染症研究所(NIAID)のファウチ所長は「わからない」と答えた。ファウチ所長は尾身会長とは違う。自分にはこれが本当のところだろうと思う。確かに大勢そうした流れは正しいかもしれない。ただ内心そうではない可能性もあるという気持がある。


その後テドロス世界保健機関(WHO)事務局長も、まだ規制を無制限に緩めるべきではないと、流れに棹をさすようなことを言った。この人は中国寄りと言われているが、同じような立場だ。
 しかしその後別のWHO幹部が欧州各国の状況から規制解除に向かうのは妥当という発言をしている。


*)その他の楽観論。いろいろな憶測は実にあてにならない。
 昨年秋のコロナ感染がほとんど出なくなった時期のことである。
○日本人は人種的にコロナにかかりにくいという論が出て来ていた。
 日本で少ないのはDNAの違いで日本人は感染しにくい体質なのではないか-(d)。
○集団免疫が形成されたのではないか-(e)
という国会質問も出た。これはマスクをつけての微妙なバランスの上に成り立つ平衡状態であって、マスクをつけなくとも大丈夫な(集団免疫が形成された)社会ではない。マスクを外せばたちまち感染拡大が始まるだろう。数は少ないがクラスターも発生していた。


筆者も隣国の韓国では感染が再燃しているのに、なぜ日本だけが感染者がきわめて少ないのだろうと思っていたのだが、恐らくは駐留米軍関係者からだろう、オミクロン株が流行り始めてからは、患者は自宅療養に廻すという対処方針もあって、たちまち韓国のレベルを越えて欧米並みになってしまった。そうした現実の前に、(d)や(e)のような憶測は一蹴され雲散霧消してしまった。


*)英国の規制全撤廃
 ごく最近(令和4年2月20日頃)、英国ジョンソン首相は規制をすべて取り払い、インフルエンザ並みにすると決定した。英国は欧州サッカー大会を開催して感染の具合を見たり、随分実験的な試みを行うものだと驚くほどだ。感心するが、今の時点での解除は正しいのかもしれないが、いずれぶり返しが必ずあると思う。


*)自分は慎重論のまま-今後数世代は原則マスク、ワクチンが必須
 自分は慎重論のままである。人類に未知のコロナは既知のインフルエンザとは異なる。毒性はより強く、予期し得ぬ変異種が現れる可能性がある。原則今後数世代にわたってマスク、ワクチンは必須である。
 これは最悪レベルで考えた基本線だ。しばらくはマスクをしないで済むのは、一つの変異種を克服して次が現れるまでのコロナフリーの期間、その都度こうした期間を享受する、ということになるのではなかろうか。
 あとは抗ウィルス薬、予防ワクチンなどの医学の進歩と、人間が獲得した後天的免疫でどれだけ改善できるかだ。それによってマスク無しの生活やカラオケ、サッカー・イベント観戦での大声での応援など、コロナ前の日常にどこまで近づけるかになるだろう。


(注1)

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