zepeのブログ

いつも株を買っては損を抱え込む長期低迷投資家

夢の無い東京五輪・パラ組織委とリーダーシップ皆無の菅首相。世界中の敵も味方も期待し勇気をもらうオリンピックなのに、TV放映されるのは日本人観客ばかり。これはRacism(人種差別主義)ではないのか。菅首相のコロナ対策失敗の犠牲になった異様なオリンピック。ネット事前登録とワクチン接種の義務付け等、ハードルを高くしてでも海外観客を受入れよ。

安倍政権以来の最大のイベント、菅総理が重視する経済活動への影響も大きい東京オリンピック--海外からの観客は受入れない方針だそうだ。
 人類史上歴史に残るオリンピックになることは間違いない!、というのに、それを成し遂げられない日本の国力・国威の無さ。なんという日本民族の、日本文化の恥辱であろうか。


できない理由ばかり探す人を気にして、なにもできない東京五輪・パラ組織委と菅首相。自分達の体面と支持率ばかりを気にして。


本来、オリンピックは努力して成し遂げるものだ。できない理由ばかり不平を言う多数の人達がいくら集まってもできるものではない。
 オリンピックに参加する人達を見よ。彼らは皆不可能に挑戦する人達である。大多数を占める、できないと努力をせず、不可能な理由ばかり探して不平ばかり言う人達ではない。


オリンピックはたとえ戦争中でお互い憎み合う仲の敵も味方も、応援し期待し勇気をもらう国際的な祭典だ。
 紀元前に行われた古代オリンピックでは、ポリス(都市国家)同士で戦争ばかりしていたが、この期間は戦争を停止し、ペロポンネス半島にある聖地オリンピアに集まって技力を競った。日本の大相撲と同じく神(神々)に奉納する祭典であった。女人禁制で素裸で競技した。古代ギリシャは政治的に大きく、アテネを盟主とする民主制派とスパルタを盟主とする保守・寡頭制派に分かれていたが、スパルタから来た観客とわかると人々はどうぞどうぞと言って席を譲ったという。
 スパルタは一般に不人気であったが、リュクルゴスの改革以来、国から金を無くし、男子の子供は国家のものとされて厳しい団体生活と軍事訓練に服し(スパルタ教育)、戦士として従軍した。多くのギリシャ人にとって敵側で政治体制は好きではなかったが、個人的には自己を克己し国家の義務に忠誠を尽くすスパルタ人に敬意を表していた。


振り返って近代オリンピック。過去の天然痘やペストにも比すべき、新型コロナウイルスのパンデミックに対する人類の戦いと努力の象徴。今回ほど開催意義の高いオリンピックは無い。歴史に残る偉業になろう。どんな形になろうとも開催・参加・競技実施・競争・観戦・放映は人類に感動と勇気を与えるだろう。
 いかに困難であろうと、いや困難がきわまるほど、開催自体の意義は高まり間違いなく歴史に記憶される大会になるだろう。
 戦争中でも開催した古代オリンピックにも比する人類が成し遂げる記念碑的偉業になることは疑いない。このチャンスを日本は決して逃してはならない。


しかし菅首相である。学術を軽視する一部の自民党の中にあって、ウィルスの感染拡大のメカニズムと対策の基本を理解し得ない。昨年11月末、遅くとも12月初めには手を打つべきであったが、日本医師会中川俊男会長も必死になって訴えていたにもかかわらず、馬耳東風。というより感染がこれから急拡大し爆発的に増加するという科学的予測がわからないのだ。そして感染爆発させてしまった今年になって感染者が1000人を超えてなどと少しは認識したようだが。
 国民の不平に対する体面と支持率ばかりを気にする政治と人事。橋本聖子東京五輪・パラリンピック組織委員会会長、小池百合子都知事、丸川珠代五輪担当相と女性ばかり3人で構成される指導陣は確かに表向きの体面と批判をかわすきれいごとを言うには長(た)けているが、オリンピックの理念と実現に向けての牽引力と世界に向けてのアピール力などは望むべくも無い。内向きに終始する菅首相は、もちろんリーダーシップを発揮し世界にアピールするなど全く無縁である。
 米国バイデン新大統領に初めて対面会見する首脳として4月に訪米予定だが大丈夫だろうか。頑張ってほしい。


そしてここにきてさらに、
国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、東京および北京オリンピックの参加選手には中国のワクチンを無償で提供するという。
 世論ではオリンピック出場者に優先的にワクチン接種を行うと不公平だという意見があり、入店するのにワクチン接種証明を課するのは差別だと言い、一方でワクチン接種やPCR検査は個人の自由だなどと言う。そういうことを言ってウィルスを他人に伝染させてよいのかという気もするのだが。そうした不平に支持率も気にして何も決められない菅首相とその意向に沿う東京五輪・パラ組織委。
 参加選手にワクチン接種は求めないと言い、一方で明確な方針も決められないまま、一部から出ている意見を気にして海外からの観客は受入れないことにしてしまった。
 感染爆発は十分阻止し得たのに、させてしまった今は思い切った対策も打てず恐れるばかりで、海外からの観客は一切無しに。そうこうしてなんらリーダーシップも取らないまま、ワクチン接種に関する条件も決められないまま、中国の助けを借りてやっと東京オリンピックを開催するわけだ。
 丸川珠代五輪担当相は記者に訊かれて「まだなにも聞いていないので」と答えていたが、アナウンサー出身だからどういう発言をすればどのような効果があるのかということは職業柄よく把握している。ただ彼女が環境相・原子力防災担当相の時、福島の現地を一度も訪れたことがないと話題になっていた。スポークスマンにはよいが、陳情受付けなど政治家の汚れ役、実行推進力などには役不足だろう。


 弱気な姿勢に終始しているうちに、中国にこんなことを先んじて言われてしまう。ふがいの無い日本と東京五輪・パラ組織委。こうなる前に、困難を乗り越えても入国条件を決めて観客も受入れ、開催に尽力すべきであるのに。--国内の付和雷同的な意見だけを気にして、国際的なアピールもリーダーシップも発信できない日本とその指導者、そして東京五輪・パラ組織委員会。


入国、観戦には高い難易度をつけて海外からの観客を受入れればよいではないか。--これは差別ではない。安全に実現するための必須要件である。今後あるべき大規模競技大会開催を実現するための科学的姿勢である。納得が行かない人々には、それを十分に説明すべきである。
 例えば、医師の診断証明、ワクチン接種証明、インターネットによる事前登録、日本到着時に再度迅速PCR検査等、厳しい条件をつけ、海外観客受入れを決定する。
これら高い難易度をクリアーしても海外から参加しようとするだろう。
事態が改善したら、難易度を下げ、受入れ人数をふやすのは後からでもできる。


恐らく来年の北京冬季オリンピックでは、これに近いことをするだろう。そして中国は自信を持って安全に世界に誇れるオリンピックを完遂したと言うだろう。
 日本もやればよいではないか。新型コロナウイルスの制圧が人類史上における東京オリンピックの意義である。


国内は新型コロナウイルスの制圧である。
 パンデミックに対する基本原則:できるだけ初動段階で手を打つこと。スピード・時間が勝負。
 広島方式のように、広くPCR検査を行い、今まで自宅待機・療養としてきた無自覚・無症状~中軽症感染者を大規模臨時病院を開設し、隔離・入院・治療する。
 そして鳥取方式のように、早期検査・早期入院・早期治療の三本柱で対応する。


今からでもこれらを思い切ってやればよいのだ。そうすれば菅首相はそのリーダーシップが見直され、人気も上がるだろう。


今のままでは、夢の無い東京五輪・パラ組織委とリーダーシップ皆無の菅首相である。世界中の敵も味方も期待し勇気をもらうオリンピックであるのに、TV放映されれば、日本人観客ばかり。これはRacism(人種差別主義)ではないのか。TVを見る世界中の人達が皆そう感じるだろう。それがわからない内向き、井の中の蛙の指導陣。
 コロナウィルス克服どころか、菅首相のコロナ対策失敗の犠牲になった異様なオリンピックを世界中で見せられることになるのだ。


秘かに石原慎太郎元東京都知事が東京五輪・パラ組織委の長になればよいと思ったりする。今の時点で無理なのは明らかではあるが...。彼は東京オリンピックの最初の本来の招聘者であり、国際的なアピール性と強力なリーダーシップを兼ね備えている。まあ彼のような大物は、小池都知事も菅首相も自民党も敬遠するだろうが...。


人類史上歴史に残る記念碑的オリンピックになるか。それとも日本民族の無為・無策・無力さが永久に記憶される恥辱になるのか。
ここは分かれ目である。
 東京五輪には是非とも海外からの観客を受入れ、国境を超え敵も味方も観戦し応援できる人類の祭典に実現すべきだ。そしてコロナ対策あるいは開催実現過程を世界にアピールすべきだ。
 ネット事前登録とワクチン接種を義務づける等、ハードルを高くしてなんとしてでも海外からの観客を受入れよ。


できない理由ばかりを探す人よりも、努力して困難を克服し目標を達成する人と努力とエネルギーに賭けるべきである。

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