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自由化の先駆者フルシチョフ-人間の顔をした社会主義:ゴルバチョフ氏逝く(2)

*)フルシチョフ-ゴルバチョフに先駆け、自由化導入を志向したソ連指導者
 米国に追い付き追い越せと言って、社会主義の優越性を説き、国連で数時間にわたる米国の弾劾演説を行う。自由主義圏を圧迫する、ゴリゴリの共産主義者という印象ばかりあったが、そのソ連内部では、共産党総会の秘密報告でスターリンの個人崇拝主義、粛清を批判していた。西欧社会に見せる印象とは異なり、ソ連共産党内部でそうしたことを行っていることを知って驚いた。


*)スターリン批判・粛清犠牲者の名誉回復・個人崇拝批判・東西平和共存
 スターリンは議会で何度目かの粛清の実施計画を発表した直後、急死した。その後の権力闘争を勝ち抜いたフルシチョフは、1956年のソ連共産党大会で非公開でスターリン批判秘密報告を行った。個人崇拝や粛清を批判し、粛清による犠牲者の名誉回復を図った。部分的とは言え、自由化導入の雪解けを図った。その後、西側との平和共存・軍縮路線を進めて行った。


*)統制体制における自由化導入の本質的矛盾
 一方でハンガリー動乱など、自由化へうごめく動きを弾圧した。これは後のブレジネフの時のチェコスロバキアのプラハの春の弾圧に先駆けるものだった。
 全体統制体制の中で、上から一部の限定領域だけに自由化を導入しようとすると、圧制下にあって潜在的に常時自由を希求している人民や各民族は、我も我もとその動きに飛び付き、収拾がつかなくなる。これは為政者の意図するところではない。これを避けるには再び軍事侵攻・圧殺に向かうほかない。もしこの動きを見過ごせば、保守派の反発に会い、失脚することになる。こうして統制体制下での自由化導入は、相矛盾する要請を満足させようとすることになり、本質的に破綻に向かう運命にある。


*)クリミア半島の帰属
 クリミアをウクライナに帰属させたのはフルシチョフである。
露土戦争やナイチンゲールが活躍したクリミア戦争、また第二次世界大戦で日本への無条件降伏を決定したヤルタ会談など、歴史的にロシアにおける重要な事象の舞台となり、また数少ない不凍港としての南方黒海への出口たるセバストポーリ軍港を擁する地政学的に枢要な地クリミア。
 なぜウクライナに帰属せしめたのか。フルシチョフは今日のウクライナ危機を予見し得たであろうか。
 5カ年計画における重工業化コンビナートをロシア中央に集中するという案に対し、フルシチョフは地方各地に分散させて拠点を作るという案を推進したというようなことを昔読んだ記憶があるが、定かではない。
 当時はソ連という同じ国内であり、恐らくフルシチョフの一存で、それほど深く考えずに、大した手続きを経ることなく、決めたのではなかろうか。今日このような問題を引き起こすことになろうとは思っても見なかったのではないか。


*)キューバ危機はソ連の敗北か?
 フルシチョフは宇宙開発や科学分野での優越性を誇り、米国に追い付き追い越せと豪語した。キューバ革命を起こし接収した米国企業の産品である砂糖の売却を阻止され困難に陥っていたカストロに援助の手を差し伸べた。米国の内庭とも言うべきキューバへのミサイル配備を計画し、これを察した米国ケネディ大統領は実力阻止すると宣言し、キューバ危機が勃発した。
 核戦争かと世界中が緊張する中、キューバに向かっていたミサイルを乗せた船は進路を変え引き返し始めたという報道を聞いて安堵したものである。その後、米ソ首脳直接会談、平和共存路線、軍縮へと進み、フルシチョフは雪解けと呼ばれるデタント路線を進めて行った。


キューバ危機での対応は、譲歩敗北ではないかという記者の質問に、「我々の勝利だ。なぜならキューバの存立・存続が保証されたからだ。」と答えた。
 フルシチョフの説明を聞いて、なるほどその通りだ。ミサイル配備という実現性の確率が疑問な札を切って、カストロのキューバ革命国家の存続を保証するという実を取る-そういう見方には全く気が付かなかった。
 ただ世界中の大半は米国ケネディ大統領の核戦争勃発も辞せずという断固たる姿勢に、フルシチョフは譲歩したという印象であった。見掛けは米国の強硬対応が勝利したと受け取られた。
 ソ連軍部もそうである。軍部・保守層は譲歩・敗北と受け取った。その後、核弾頭を増加させている。


*)東西平和共存・軍縮
 キューバ危機が収束した後、平和共存路線に踏み切った。
スターリン死去後の権力闘争時に彼を支持した対独戦争の元勲・ジューコフ元帥を、後に軍縮に反対するという理由で遠ざけているから、彼の東西冷戦緩和・雪解け、軍縮へという路線は本物だったのだろう。しかしこれは保守的な軍の支持を失い、支持基盤を揺るがせ、その後の失脚の一因にもなるものだった。


*)独裁者と軍の把握
 全体主義国家の独裁者は軍を自分の手に押さえる。軍の支持基盤をしっかりと確保することが自分の立場の強化・安定化に必須である。スターリン、毛沢東、そして今の習近平も軍の支持を得ることには意を用いている。


文化大革命で鄧小平は劉少奇に次ぐ走資派と批判され、二度失脚しながら生き延びたのは、
一つには彼の「白猫でも黒猫でもネズミを捕る猫はよい猫だ」という柔軟・現実的な発想・対応力のためでもあるが、それとともに見逃せないのは、革命戦争時から軍を率いており、劉少奇が軍に支持基盤を持たなかったのに対し、鄧小平は人民解放軍内で、林彪の左派・親ソ派とともに、自派を支持する基盤を持っていた。
 後に文革推進派の毛沢東夫人の江青ら四人組が、毛沢東の死後逮捕されるのは、路線は違えど林彪事件により同じ左派の林彪派軍部が一掃され、軍部に全く支持基盤を持たなくなったことが、大きな要因でもある。鄧小平派軍部は文化大革命中も存続し、その支持もあって鄧小平は危ないところを命拾いもし、失脚後また復活することができた要因になっている。
 今度の3期目入りした習近平も国家主席とともに中国人民解放軍のトップの地位を占めている。


*)中ソ対立、失脚
 フルシチョフの個人崇拝・粛清批判、平和共存・軍縮路線は、中国からは現代修正主義と非難され、中ソ対立を引き起こした。毛沢東にとってスターリンの強権主義が正統でないと都合が悪いということもあったろう。
 フルシチョフは個人崇拝禁止、自由化というその路線から恐怖支配をせず、またそのキャラクターから、一旦共産党トップになってからは、あまり軍のご機嫌を取ることはなかったのだろう。最終的にキューバ危機後そう経たないうちに、保守派を中心とした一種のクーデターで、軍の支持も失っていたフルシチョフは失脚した。

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