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人間の顔をした社会主義:ゴルバチョフ氏逝く(1)-世界を変えた新思考戦略

*)安倍氏死去の後、時代を画した世界的リーダー・元首の死去相次ぐ
 安倍元首相が銃撃死した後、短時日のうちに英国ジョンソン首相辞任、旧ソ連大統領ゴルバチョフ氏死去、英国女王エリザベス二世死去と続いた。いずれも時代を創り、時代を画し、時代を代表した元首・政治家である。


*)今日の世界を現出させた不世出の指導者:ゴルバチョフ
 エリザベス女王はもちろん国葬、安倍首相も国葬であった。
ゴルバチョフの葬儀はどちらかというと、ひっそりと行われた。主要外国首脳で参加したのは、ハンガリー大統領だけで、ほとんどは駐露大使館員などで済まされた。プーチン大統領は他用があるとして参列しなかった。もちろん国葬ではない。


彼の成し遂げた(第二次世界大戦)戦後世界の変革と変動への影響を考えれば、本来ならもっと多くの海外首脳級が参加して然るべきであったろう。目立たぬ葬儀がいつのまにか終わり、世界的にもニュースでそれほど大々的に取り上げられることもなく、各国はそれぞれもう過去のことで、今はそれどころではない、我れ関せず、関係無いとでも言うような感じだ。
 これほど重要なことを成したにもかかわらず、本国ロシアでは人気が無く失脚し、表舞台から消え去った政治家、しかし戦後の冷戦体制を決定的に変え現在の世界を現出させた立役者・革新的指導者-ゴルバチョフ。


*)ベルリンの壁崩壊・東西ドイツ統一、東欧・中央アジアの民族自決国家成立、混乱・失脚すれど複数政党存立・自由化導入共産主義国家の実現
 新思考外交で世界を変え、その成果を成功裡に収穫する前に失脚、結果ソ連崩壊・大国ロシアの混乱に陥った。ロシア国内での評価は低い、というよりもむしろ否定的である。人々によってはその政治的立場から否定・無視すれども、人類の歴史においては決して否定し得ぬ業績を導いた屈指の世界的指導者と言えるだろう。


 ベルリンの壁崩壊・東西ドイツ統一、東欧・中央アジアの民族自決国家成立、混乱・失脚すれど複数政党存立・自由化導入共産主義国家の実現
-これらを成し得たのは、ほかの誰でもない-ゴルバチョフ氏その人である。
 当時の米国大統領で元はと言えば西部劇の大根役者だったリーガンでもなく、日本首相だった中曽根康弘元首相でもなく、鉄の女と言われたサッチャー首相でもなく、毛沢東や鄧小平でもなく、ましてやスターリンでも、反共だったチャーチル首相でもなく、ヒトラーでもない。
 時代が来れば誰であっても、多かれ少なかれそうなっただろうとは思えない。ベルリンの壁が崩壊し、ソ連連邦が自ら解体を宣言する日が来ようとは夢にも思わなかった。ゴルバチョフその人の個性と能力があって初めてもたらされたとしか思えない。


*)サッチャー首相ゴルバチョフを激奨
 ロシア首相になり、ソ連のトップに就任した後、英国を訪問した。会談した鉄の女サッチャー首相はその後でゴルバチョフを激賞した。
 米国とともにNATOの中核・本尊であり、ソ連と潜在的な敵性関係にある英国首相がソ連の首相を評価するという姿勢になにか変だなと違和感を覚えたものだが..。
 その後、「グラスノスチ(情報公開)」と「ペレストロイカ(改革)」を掲げ、市場経済の導入、民主化を進め、複数政党制の導入、外交では「新思考外交」を掲げて東欧諸国の民主化、ベルリンの壁開放、東西冷戦の終結、その後ソ連邦は解体へと、ゴルバチョフは周囲の予測を超えて次々と変貌していった。


*)ウクライナ問題の淵源:自由か強権統制支配か
 今日、曲がりなりにも旧共産圏、東欧・中央アジア諸国が民族自決の国家として成り立っているのは、その源泉はまさにゴルバチョフにある。
 そして今日のウクライナ問題もまたその淵源をグラスノスチ・ペレストロイカ・新思考外交のゴルバチョフに遡(さかのぼ)る。東欧諸国民が自由を希求し民族自決国家として変貌し、ウクライナもまた独立国家となった。それに対し、かってのソ連やロシア帝国の強大なロシアの復活を夢見るプーチン。この相入れぬ緊張・対立関係に起因する。
 それに加え、特殊ウクライナに関しては、なぜかゴルバチョフに先駆けた自由化の先達者フルシチョフも一枚噛んでいる。


*)中央アジアの小国がロシアに物を言えるようになったのはいつからか
 最近(平成4年10月)、ウクライナ侵攻に齟齬を来たし、友好国の支持を得るために、プーチンが招集した会議で、タジキスタン首相が物資支援よりも小国だからと言ってソ連時代のように無視しないでくれと言い、カザフスタン大統領もウクライナ東部・南部4州のロシア併合には反対と表明した。
 正直な意見を述べたものである。こんなまともな意見がプーチンに、ロシア軍部に、ロシア国家に通ずるだろうか。たちまち打ち消され、発言者は要注意人物として以後永遠にマークされるのではなかろうか。ちなみにこの会議はロシアでなくカザフスタンで開かれているのもあって本音を言ったのかもしれないが。
 大国ロシアに対して中央アジアの周辺小国がこんなものを言えるようになったのはいつからであろうか-そもそもはソ連崩壊を導いたゴルバチョフ以来ではなかろうか。
 現在のプーチン政権下では、まともな意見や反対の「はんた...」と言いかけ叫んだだけで、外国勢力と結託したスパイと見なされて監視、非合法化され、投獄されるだろう。こうした状況はこれまでの多くの時代においてソ連・ロシア・周辺諸国圏では行われてきた。
 これは習近平中国でも同じである。香港も発言の自由は奪われ、人々は常時監視され、個人崇拝・全体主義体制が強力になり、世界覇権を目指そうとしている。
 今はたまたまプーチンの仕掛けたロシアのウクライナ侵攻がウクライナ軍の反攻にあってプーチンが藁をも摑むような気持ちで各国の支持を得たい時だから言えるようなものだが、普段は、あるいはロシアがウクライナに勝ったりでもしたら、次の矛先(ほこさき)は自分達になるかもしれない、とても言えぬ言葉だろう。


これがゴルバチョフならどうだろうか。結果は満足すべきものにならないかもしれないが、同じ目線で噛み合い、議論は合理的に進められたのではなかろうか。
 日本ほか自由主義圏では反対意見を述べる表現の自由がある。ただ札幌では安倍首相帰れとか叫んだだけで、公安に取り囲まれ排除されるかっての香港みたいな状況もあるが-これで冬季オリンピックを招致すると言うのだが、どんなものかという気がしないでもない-まずまずある程度の自由はある。


*)本国ロシアで不人気のゴルバチョフ
 ソ連の時は、周辺衛星国に対する大国ロシアの優越性は飛び抜けており、共産圏の版図は地球半分くらいだっただろう。ゴルバチョフ以来、ロシアは領土を手放し、影響下にあった東欧・中央アジア諸国は独立した。かっては自分達の意見など言うことのなかった周辺小国が物言うようになったりしている。
 ロシアの優位性が損なわれ、再び強いロシアをと言うプーチンが支持を獲得し、かってのソ連を、あるいは帝政ロシアの領土を取り戻すという夢の実現に一歩また一歩と手段を講じる。


*)プーチンの手法-ロシア・ソ連の伝統的手法である恐怖による支配
 プーチンの言い分は、NATOはこれ以上、東方に拡大しないと言ったのに、兄弟国ウクライナまで加盟しようとしている。ロシア、ウクライナ、ベラルーシのスラブ3国は兄弟国であるべきだ。
 そしてロシア・ソ連の伝統的手法である恐怖でもって人々を支配し目標を成し遂げようとする。それはこれまでプーチンが成功してきた方法である。


*)プーチンの恐怖支配とは真逆のゴルバチョフのアプローチ
 ベルリンの壁崩壊・東西ドイツ再統一の動きを見たソ連構成国のバルト三国は独立の動きを始めた。
 こうした場合、ソ連指導者は自身が部分的自由化・雪解けを標榜しても、それがソ連崩壊につながるロシア周辺衛星国の自由独立化の動きには厳しく対処し抑圧し続けてきた。ソ連邦の維持、共産主義圏の体制維持のためにはワルシャワ機構軍を派遣して武力鎮圧する。フルシチョフの時のハンガリー動乱であり、ブレジネフの時のチェコスロバキア・プラハの春である。
 もちろん保守的でソ連(ロシア)の勝利を常時考えている軍部は前向きでやりたがっている。圧倒的に優位な軍事力をもってすれば、大統領の決断次第でただちに実行可能なことは明らかである。


軍を派遣し武力鎮圧するべきか?-ここに全体主義国家における自由化導入の難しさがある。自分でイニシアティブを取って自由化を導入すると、周囲はそれを見てそこまで許容されるのなら自分達もと、手に負える許容度以上の動きにすぐなってしまい、コントロールが効かなくなる。
 過去に習えば、プラハの春の再現になるところだったが、ゴルバチョフは敢えて沈黙を守り独立するにまかせた。
 自国圏の喪失が目に見えていながら、軍部と保守層からは批判的に見られ、人気・支持を失う可能性があることを認識しながら、敢えてそうした立場を取った。


*)プーチンとの精神・理念の違い-人間の顔を持った社会主義
 実際、保守派と軍部は危機感を強め、共産党の指導とソ連邦の維持を主張してクーデタを起こし、ゴルバチョフは失脚した。
 ソ連の崩壊・大国ロシアの一極支配からの周辺諸国の離脱の動きは、ロシア国民には自国の凋落と受け取られた。たとえ恐怖政治でも-伝統的に長年そうした体制が体質に染み付いている-、かっての強いロシアを、かってのロシアの栄光を、強大なロシアの復権をというプーチンの呼びかけに賛同し、彼を支持する潜在的理由がそこにある。
 ソ連邦維持のためには、武力介入、弾圧をしてでも独立の動きを阻止すればよかった。
ゴルバチョフはそれを行おうとすればできた。そうすればその地位は安泰だっただろう。
しかし不明瞭な動きに終始し、結論的に言えばそこに踏み込まなかった。
 これは彼の精神の底辺には、人間主義の観点・価値観があったからと考えてのみ理解できることである-人間の顔を持った社会主義を志向した指導者ゴルバチョフ。

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