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零式戦闘機:ブレークスルーの傑作機(2)-ソ連超音速戦闘機ミグ25函館空港強行着陸40余年

*)日本の航空機を特集したフランスの雑誌
 40年以上前のパリであったか(あるいは記憶違いで、15年位前だったかもしれない)、書店で日本の航空機を特集したフランスの雑誌を見つけたことがある。写真の豊富な随分と専門的な、日本でもこれほど多くの飛行機をカバーした本は見たことがないほどであった。戦後の日本の航空機は、海上自衛隊に納入された一部の飛行艇などを除けば、ほぼ旅客機のYS11だけだから、掲載されているのはすべて戦前の軍用機である。


随分とたくさんの種類が作られたものだ。こんなにも日本は多数の航空機を生み出していたのだと驚くばかりである。特に戦争末期、敗戦も近い頃にいろいろな戦闘機が作られたようだ。
 一方また現在の、いや戦後ずっとだが、日本の状況はと言うと、決して航空大国どころか、飛行機とは全く縁もゆかりも無い、世界の誰が見ても飛行機とは無縁の航空音痴の弱小勢力の国家である。


にもかかわらず、日本の航空機特集本を出すフランスの動機、理由、ニーズはなんだろうか、そんなに重視される国ではない、一体誰が興味を持つのか、と不思議に思った。
 この本を見れば、航空機とは無縁の日本だが、実は航空大国なのだということが、圧倒的な印象力をもって認識されてくる。
 なぜこんなものをフランスは出版したのか。
もしかしてフランス語ではあるが、日本人観光客向け?、と勘繰られてもくるが、フランス語だし、飛行機それも軍用機に興味を抱く者など、たとえいくらフランス語を読めたとしても、商売になるほど数は多くない筈である。


その本は購入したが、当然いまはどこかへやってしまった。


*)零戦-後進国・資源少国の制約下、日本が生み出したブレークスルーの傑作機
 太平洋戦争初期、後進国日本は、当時の常識を超えるブレークスルーの零式戦闘機(零戦)を生み出し、戦況ををリードした。


連合艦隊司令長官山本五十六は、国力の違いを認識しており、米英に対する開戦には反対論者であったが、しばらく(半年や1年?)なら、暴れてみせようと言った。その背景には零戦の存在もあったと思われる。
(-開戦反対だったにもかかわらず、結果的に対米英戦を許容することになったそうした言は、言うべきではなかったという批判もある。実際は戦局の転換点となったミッドウェー海戦での敗北までは、開戦からわずか半年であった。)


一般に海軍は傾向として国際派である。国際的に見て日本の実力のほどがわかる状況に置かれる機会が多い。海軍はなんと言っても、伝統的に米英が先進強国である。
 列国の建艦競争において、海軍軍縮条約により米英に対して日本の比率を低く抑えられた中にあって、山本は勃興期にあった航空兵力に注目し、育成強化を推進していた。


*)零戦の開発過程を知るには
 どのようにして零戦が生み出されたか、その開発過程とその後は、


吉村昭「零式戦闘機」(新潮文庫)
柳田邦男「零式戦闘機」(文春文庫)


の文庫本で手軽に知ることができる。
 どちらも作者が技術内容をよく理解し、わかりやすく叙述しており、おもしろく読める。
ドキュメンタリーとしての柳田本に対し、吉村の著書は小説ということであるが、人間が主人公の通常の小説というよりも、零戦とその開発模様が主人公として叙述されていくといった塩梅(あんばい)の読みものだ。


*)航空機後進国日本海軍の過大な要求
 次期艦上戦闘機について海軍は、各製造会社に対して競争試作を実施していたが、他国よりも軍事的優位に立つために、現状戦闘機とは段違いのスピード、航続距離、交戦時の攻撃破壊力や旋回性能などの空戦格闘能力・攻撃力を要求してくる。
 日本は軍艦製造については一流のレベルに達していたが、航空機開発に関しては、後進国である。


*)航空機エンジン-資源少国ゆえの限度
 また資源の無い日本は、石油使用量が限られるため大容量のエンジンは使えない。エンジンは人間で言えば心臓にあたる。
 その限られた(心肺)機能で、このような無理な要求をすべて満たすことはできない。


*)後進国・資源少国という日本が置かれた制約下、いかにして実現するか
 この無理難題をいかにして実現するか。
三菱重工の開発設計主任堀越二郎技師は、既に前回開発していた
 九六式艦上戦闘機
において、羽翼形態にそれまでの双葉機から単葉機構造を採用していた。
今回ももちろん単葉機である。


*)解決策は?-徹底した軽量化と摩擦抵抗極少化に求める
 その上で、限られたエンジン性能の制約下、要求性能を実現する方策を、徹底した軽量化と摩擦抵抗最小化に求めた。


*)超々ジュラの採用
 構造設計仕様上の工夫・改善とともに、材料の面でも、少しでも特性の優れたものをと、新しいものに挑戦した。
 元々、本格的航空機はジュラルミンという材料の開発で実現したのである。
材料への視点は、航空機の改良・開発においては本質的であり、常に着目しておかねばならない。


*)比強度と航空機材料
 航空機では、比強度が高い(=軽くて強い)材料の使用が絶対の最優先事項である。
航空機の発達は、材料開発の進展と不可分の関係にあった。


当時開発されてきた
 アルミニウム合金のジュラルミン(duralmin)
は、航空機に最適の材料として使用された。


しかしより高性能の飛行機にするためには、より比強度の高い材料が求められる。
 もし強度が2倍になれば、材料の必要量は2分の1で済み、従って重量は半分で済む訳である。
 高性能の航空機の実現は、ジュラルミンの材料開発の進展状況と直結することとなった。


*)ジュラルミンから超ジュラへ
 比強度の大きい材料を手に入れることができれば、それは即、より高性能な航空機の実現に直結する。


各国はこぞって、ジュラルミンより強い
 超ジュラルミン(超ジュラ superduralmin)
の研究開発に努め、実用化された。


*)さらに超々ジュラへ
 その後、超ジュラに続き、さらに優れた材料を開発すべく、各国は
  超々ジュラルミン(超々ジュラ:extrasuperduralmin)
の研究を競っていた。


*)使えない超々ジュラ-粒界割れの問題
 しかし超々ジュラには、粒界割れを起こすという致命的な欠陥があった。
粒界割れを起こせば、引き続いて容易に脆性破壊を起こすに至る。破断する頻度が高くなれば信頼性のおける材料ではなくなり、とても使えない。
 この粒界割れの問題がどうしても克服できずにあり、使用に供するのは不可能であった。


*)高強度材料の弱点-応力集中と脆性破壊
 一般に材料は強くなるほど、変形しにくく、脆くなる傾向がある(脆性)。
非常に強く(硬く)なれば、圧縮応力には強いが、引張・曲げ応力や衝撃力に対して容易に破壊するようになり、材料に対する信頼性は低下する。


こうした高強度材料では、外力に対して頑丈に耐え変形しようとしない。
 もし少しでも弱い個所-表面の傷や切欠きなど、それも深さは浅くとも、その切欠き溝の先端が鋭い(r(アール:曲率半径)が小さい)ほど-があれば、外力による変形はすべてその部分に集中(応力集中)するから、容易に破壊するようになる(脆性破壊)。


店に行って、所定の大きさに板ガラスを切り出してくれるよう頼むと、先端にダイアモンド針の付いたカッターで表面にスーッと傷を入れ、パンッと板を叩くと、簡単にガラスが切り出せるが、これは上記の 応力集中による脆性破壊 を利用したものである。


逆に強度が低くなるほど、変形しやすく、引張・曲げ応力や衝撃力に対してすぐには破壊に至らないから、材料は信頼性に富むことになる(延性)。


鉄筋コンクリートでは、
 脆性材料で引張・曲げには弱いが、圧縮力には著しく強いコンクリートと、
 延性材料であり、それ故に耐圧縮力はそこそこ止まりであるが、引張・曲げ、衝撃力には強い鉄筋
とを組合わせて複合材料とし、それぞれの長所を活かした特性を発揮するようにしている。


*)粒界割れの克服
 金属やセラミックス材料は通常、大きさ数百ミクロン以下の結晶粒からなる多結晶体である。強度が高くなると、各結晶粒の材質は強くなるが、結晶粒間(=結晶粒界、粒界)の強さは追随していない。そのため粒界に応力集中が起こり破壊しやすくなる(粒界割れ)。


超々ジュラの開発にあたっては、この粒界割れの問題がどうしても解決できなかった。
 日本でも超々ジュラの開発研究を進めていた。
ちょうどその頃、住友軽金属であったかの非鉄金属系会社で、たまたまこの粒界割れの問題を克服する超々ジュラの開発にようやく成功しようとしていた状況にあった。


*)堀越技師超々ジュラを採用
 こうした情報を聞きつけ、堀越技師は、まだ商用実用化の段階までには至っていなかったこの材料に注目し、取り入れようと試みた。


*)適材適所に活用
 優れた特性は有するものの、一方で短所もある。こうした材料の特徴を活かして航空機材料として活用するには、その特性(長所と短所)をよく理解し、適材適所に使い分ける必要がある。


羽翼部では、弾性変形や曲げ振幅が大きく、繰返し応力がかかるから、延性に富む材料が望ましい。
 一方、機体全体の荷重がかかる、背骨にあたる芯材では、強度が高く、容易に変形しない材料が適している。ここには最も高強度の材料を使うのがふさわしい。
 堀越技師は、この部分に新しく開発された超々ジュラを採用することにした。


これは理に適(かな)っている。
 機体全体の全荷重を支える体幹の骨格芯材にかかる応力負荷は大きいから、その体積は当然太く大きく、従って重量も大きい。
 軽減化の観点からすれば、この主力耐久部位に高強度の材料を採用すれば、ネジなどに比べれば、はるかに著しい重量軽減効果として寄与するはずである。


(本稿に記した超々ジュラの適用個所については、インターネットで見ると少し違うようである。記憶ではここに記載した通りであるが、思い違いがあるかもしれない。)


*)徹底した軽量化と摩擦抵抗極少化
 こうして-
最新の材料の採用と、
ネジ1本をも疎(おろそ)かにしない重量管理による徹底した軽量化、 および
リベットのようなわずかな突起も頭を削って平滑化し、流線形にして、徹底した表面空気摩擦抵抗の極小化
-これらを実施した。


*)高速力、長大な航続力、圧倒的な攻撃力、空戦格闘能力
 徹底した軽量化と摩擦抵抗極少化の効果は大きく、さらに大口径の機銃を装填することにより、当時の常識を超える高速力、長大な航続力、圧倒的な攻撃力を有する空戦格闘能力を有する戦闘機を実現した。


*)資源小国・資源貧国ゆえの限度
 資源少国日本は、大容量エンジンが使えないこともあるが、米欧に比べれば、エンジンの性能は及ばなかった。後に、三菱重工よりも性能の高かった中島飛行機製のエンジンを採用した。


それでも海軍の求める全要求は満たすことはできない。
どうしても優先事項を抽出し、いずれかは犠牲にしなければならない。
 「攻撃は最大の防御なり」という日本流の心性-心臓にあたるエンジンの馬力は十分ではなく、軽量化はすれども攻撃力は付けたいという相矛盾した要求に応えるために、防御性を犠牲にして攻撃能力を優先した。


その後、戦局の進展に対して、大量生産が追い付かず、また機体の修理・改良・改造、零戦に続く次期戦闘機の新開発などの作業に、十分手が回らなかった。
 一方、米国は大容量のエンジンを搭載した新型機を次から次へと投入してきた。
工業力、産業、領土、資源、資本の蓄積、人材等の総体からなる国力の違いである。
 日本は本土が爆撃に曝(さら)されるようになり、工業力・国力はさらに低下する。


*)後進国・資源少国の制約下、日本が達成したブレークスルーの傑作機
 後進国と言えども、当時世界のどの戦闘機にもまさる性能の零戦(零式戦闘機)を生み出し得たのには、明治維新以来の教育、学術・研究、工業力への投資・強化育成がバックグラウンドとしてあった。
 国民皆教育制による能力に信頼のおける人材、資源少国・慢性的不況から逃れられなかったが一定程度の経済力、(旧)帝国大学をはじめとする高度専門教育システムの扶植・確立と人材輩出、研究体制整備確立、企業における研究開発力-そうしたものを総合した上での国力が背景にあった。


零式艦上戦闘機は、後進国日本・資源少国日本が達成したブレークスルーの一典型である。

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