zepeのブログ

いつも株を買っては損を抱え込む長期低迷投資家

(再掲)津波被災の予見性について-福島原発事故に東電無罪の判決。科学的素養に欠ける裁判官-もしこの人達が東電の社長だったらと思うとゾッとする。時代に追随できない司法人材登用制度ー現代の司法制度には理系人間の導入が急務。

東京電力福島第一原発事故をめぐり強制起訴された東電旧経営陣に対し、東京地裁は無罪の判決を言い渡した。津波は当時では予見不能だった想定外として責任は問えないという判決である。
 昨日までなんともなかった、今まで無かったという一般人の感覚では、想定を超える事態だったであろう。どうやら裁判官の判定は一般人の感覚に近い。
 安全性に関して果たしてそれでよいであろうか。


 遊園地の遊具が金属疲労で激突死を招いたことがある。
昨日までなんともなかったは一般人の感覚である。ある一定稼働頻度に達すると疲労破壊が起きるのは材料工学では常識である。遊具は疲労破壊が起きる繰返し使用数を推定して設計し、破壊事故が起きる前に定期的に交換する。


福島の原発立地としての適地性はどうか。


 仙台にある大学の先生から聞いたところによると、東北電力は東京電力以前に同じ福島浪江地域を検討した。しかし津波被災の可能性から撤退した。東電はその後に来た。東北電力が建設した女川原発は震災当時運転はしていなかったが、高台の上にあり、福島よりはずっと震源地に至近距離にあったが、津波の被災は受けなかった。


 また別の大学の教授の書いた随想では、
会議中であったが、津波の第一波襲来の報を聞いた時、幼少の頃、親戚に連れられて行った神社で大銀杏を指さして昔この木の上に船をつないだと教えられた記憶が突然甦えったという。
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1) 岩本由輝「原発立地と津波に関する口碑伝説」(歴史書懇話会『歴史書通信』No. 198・. 2011)
http://www.hozokan.co.jp/rekikon/pdf/tu198.pdf
(表紙に繋舟伝説のある諏訪神社の大イチョウの木の写真が掲載されている)
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諏訪神社(相馬市黒木、海岸から6キロ、標高33メートル)
<昔、大津波があったとき、このイチョウのてっぺんさ、舟をつないだんだと> (岩本氏が幼少の頃、祖父の義妹から聞いた話)
 また、次のような郷土史研究もある。
 <大昔大津浪があつた時、その(境内の杉の大木)いただきに舟をつないだ> (相馬女子高校〔現・相馬東高校〕郷土研究クラブ編集 『相馬伝説集』 『歴史としての東日本大震災』より)
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2) 浜通りにおける歴史津波と口碑伝承――科学を問い直す
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-81.html?sp
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 マスコミでは1000年前(869年貞観地震・津波)以来の大地震と報道していたが、
古記録では1611年に起きた慶長奥州地震による津波被害について伊達政宗が徳川家康に報告している。上述の大イチョウに舟を繋いだのはこの時である。


 また原発設置時の安全性検討では既に、烈震の確率は400年に1度と推定し、だから安全と判断していたが、
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 「福島県周辺においては、強震以上の地震は約150年に1度、烈震以上のものは約400年に1度位の割合でしか起こらず、福島県周辺は地震活動性の低い地域であると言える。従って福島県周辺で過去に震害を受けた経験も少なく、とりわけ当敷地付近においては特に顕著な被害を受けたという記録は見当たらない」
(日本原子力産業会議『原子力発電所と地域社会 地域調査専門委員会報告書(各論)』, 1970年8月.の一節)
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奇しくもその400年目に東日本大震災が起きたと指摘(1611年旧10月28日発生の慶長奥州地震からちょうど400年目の2011年3月11日)している。
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3)岩本由輝「400年目の烈震・津波と東京電力福島第一原発の事故」
経済学論集-東北学院大学、2011年12月
https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2011/pdf/bk2011no09_01.pdf
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 上記報告書の「特に顕著な被害を受けたという記録は見当たらない」という個所が誤りであることは、民間伝承が強い記憶をもって伝えられてきていることから明らかである。
 記録手段が今日ほど容易に得られなかった時代に、異常な経験に遭遇した人類が申し伝えてきた口承、古記録は、決して非科学的などと無視し得るものではなく、稀少な重要情報として科学的に汲み取るべきである。
(こうした古記録、古伝承は科学的実証性が低いとして理科年表から除かれつつあるという[2])



裁判の判決では津波は予想し得なかったというのだが、普通の一般市民はそうだろう。しかし原発に責任のあるトップはどうか。
 安全性は一般人の感覚ではなく、科学的になされなければならない。
飛行機、新幹線、自動車、エレベーター等すべてそうである。


地震発生の周期サイクル説に立てば、今まで起きたことがないから、起きることは想定外なのではなく、今まで起きていなかったから、その期間が長いほど近いうちに起きる確率が高くなるわけである。


2011年の当時、津波があり得るという認識、予見性は十分に持ち得たことは明らかである。


 福島原発の被害発生は、直接的には地上1階レベルにある給電装置が水をかぶって作動しなくなり、冷却系が麻痺し炉心部のメルトダウン(炉心溶融)に陥った(当初、東電、政府はメルトダウンを否定していた)。
 結果論だが、極端なことを言えば、最低限、給電装置が50m位のビルの屋上レベルにあれば、津波に被災してもメルトダウンに陥らなかったかもしれない。


今回の判決に対して恐縮だが、はっきり言って科学的素養に欠けているのではなかろうか。
東電以下の素養の裁判官-もしこの人達が東電の社長だったらと思うとゾッとする。
 人類の危機にあたってこの人達はどのように身を処するのであろう。法律的に正しいか否か、裁判になったら勝つか負けるかを考える人達ではあっても、責任を取る、責任をもって行動する人達ではないような気がする。


人は裁判に勝つか勝たないかだけの判断基準で生きるものであろうか。
 危機にあたってたとえ将来非難糾弾されることになる可能性があろうと、決断せねばならない時には決断せねばならない。これが責任ある立場にある人がなさねばならぬことであろう。
 勝海舟の「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」である。
 その意味では裁判官よりも今回の被告達のほうがまだずっとましのように思える。現に被告の一人は津波の可能性の調査報告を受けて、一旦は対策の検討を指示している。


最近、裁判所の判決には時々首をかしげることがある。科学的知識、経験、専門的バックグラウンドに決定的に欠けていると見る。法律の解釈法の参考と勉強になるが、高度技術の問題が政治・経済に頻出する時代にあって、問題の解決には全く貢献しない司法審理ではなかろうか。


重要なことは法律の専門家はいても理科系の内容に詳しい人材を採用するシステムにはなっていないことだ。
 東電の人間の責任性とともに、あるいはそれ以上に裁判官の科学的素養の無さが問題に思えてくるのである。
 高度科学技術時代に追随できる司法人材登用制度は要検討ではなかろうか。

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