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フルシチョフの墓標。ゴルバチョフは?。-人間の顔をした社会主義:ゴルバチョフ氏逝く(6)

*)フルシチョフの墓標。さてゴルバチョフは?。
 ソ連・ロシアで最大級の功績があった人間は赤の広場に葬られるそうだが、フルシチョフは一僧院に葬られたまま、顧(かえり)みられることなく、これからも無さそうだ。


*)抽象画問題
 かって美術界はピカソに代表される抽象画一色で、日本でも1960年代半ばまで具象画を描くことは古い、遅れているという感じがして、そのような絵を描くことは躊躇されるような気がしたものだ。欧米で流行っている抽象画の潮流がソ連にも流入し、これもフルシチョフの雪解け政策の一余波だろう、展覧会を開いたところ、当局から資本主義ブルジョワジーの悪弊に染まった、社会主義リアリズムに反する作品、とかなんとか-どうせそういった言い方だろう-と酷評され、徹底的にこき落とされた。


*)フルシチョフと墓標制作者
 フルシチョフの墓標を制作したのは、自身がこきおろし罵倒した彫刻家だったようだ。確かに見てもよくわからない。期待を持って見た者には、これなーに?、といった感じで、素人にはよくわからない代物(しろもの)だ。期待外れである-(Wikipedia参照)。
 恐らく過去の失脚者に手を貸すような仕事は危険で、なり手がいなかったのだろう。彼が引き受けたのも、そのために当局から睨まれ、その後スイスに亡命せざるを得なかったというから、彼はけちょんけちょんに貶(けな)されながらも、雪解けを先導したフルシチョフを認めていたということなのだろう。そのために彼自身が亡命せざるを得なくなったその生涯もまた、勲章もの、これもまたロシア魂と言うべきか。


自分の作品が罵倒されたのはともかく、その当の相手の墓標の作成を引き受け、それもあって当局から目を付けられ、後に亡命せざるを得なくなったその生き様には、
 フルシチョフの主導した雪解けに、自由な創造精神を持つ芸術家にとって非人道的な桎梏の鉄格子のような体制からの解放感、自由性を吹き込んだその方向性に賛同していたものがあったものだろう。
 そうした人間に自分の墓標が作られることになったのも、フルシチョフらしいのかもしれないし、フルシチョフの個性を示すものだろう。
 あるいは具象的な姿を写す彫像などは、フルシチョフの人間性を思い起こさせ、彼の施した政策・時代の記憶を蘇らせる妙な磁力を発生させるのではと、当局に危険視され許されなかったのかもしれない。
 こうした管理下に置かれたまま、人に気付かれぬまま死去し、祖国から顧みられない墓標こそ、巨大な桎梏を打破し、人間性に基づく政治を志向した政治家として、ふさわしい勲章であると言うべきか。


*)ゴルバチョフの葬儀
 さてゴルバチョフについては葬儀はどうなるだろうか-興味を持って見ていたが、プーチンを後継者として推したエリツィンが盛大に国葬で葬られたのに対し、ごく小規模に執り行われたようである。
 プーチンは参列しなかった。プーチンや大多数のロシア国民にとっては、強大なロシアの国威を失墜させた人間として、否定的に見なされ人気が無いようである。


ゴルバチョフの成した功績・意義を考えれば、本来、各国の元首級が参列すべきものであるが、欧米・海外各国は駐露大使がほとんどだった。
 現在のウクライナ侵攻を行っているプーチン政権の状況下にあるということも影響していることは確かだが、恩を忘れ、恩も感じない振る舞いは人の世の中の常であるとは言え、欧米・東欧・中央アジア諸国は礼を欠いているとも言える。
 またウクライナ侵攻下にある現在の状況で参列することは意味があったろう。それはかっての隷属・束縛から民族・人民を解き放った氏の政治姿勢を評価することを体現し、ゴルバチョフを鑽仰することは、プーチンの意向に逆らい、プーチンの嫌う自由体制への共感を示すことになるからだ。


その中で、国家元首級の中ではほぼ唯一、ハンガリー首相が参列したと言う。
 やや意外感がある。何故なら、EUの中で唯一プーチンに近く、ロシア制裁とエネルギー統制を図る他のEU諸国に反して、ロシアからのパイプラインを通じて燃料補給を受けると声高に主張し、EUの結束を乱している張本人だからだ。葬儀参列の意図はどういったところにあるのだろうか。

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